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アリストテレス考察

和辻哲郎の人間の学としての倫理学は、東洋ではなく西洋倫理学にあるといえる。和辻は、アリストテレスやハイデガー、コーヘンやカント、ヘーゲルなどの考えを発展させ、人間の学としての倫理学の確立を図ってきた。その中で古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、倫理学、Ethicsの模範となるEthicaにおいて人の善を考察し、その事は和辻を初めとして、さまざまな哲学者に影響を与えてきた。一般的に倫理学を表すEthicsはギリシャ語で習慣や滞在地を意味し、一定の文化の中で多くの人々が持っているものを指す。

 

 アリストテレスは『二コマコス倫理学』において、さまざまな技術や専門知識には目的(よきこと)があり、それらは、そのすべてを統括するところの目的に従属するという考えを示している。そして、万人が最高目的としているのが、最高善であり、それは幸福、すなわち、よく生きる事であると規定した。また、人間の行為が善を目指すならば、さまざまな善を目指す技術や専門知識を統括しより大きなレベルでそれを実現するべく努める政治学(術=technê)こそ、倫理学を包括する学問であるとアリストテレスは考えた。人間の善は幸福であり、「一個人にとっても、ポリスにとっても、目ざす目的は同じであるにしても、ポリスにとっての目的を実現し保持することの方がいっそう大きく、いっそう終極的なものである」と述べているように、究極には国全体の善が幸福としている。結局、アリストテレスは人の哲学をEthicaとpoliticaの両面からみて、全体をpolitikê、すなわち人間の学として捉えている。かの有名な物理学者、アルバート・アインシュタインは物理学者という立場でありながら、哲学的考察にすぐれており、アリストテレスと似通った考えを持っている側面がある。この事は非常に興味深い事である。アリストテレスに対する私の考えを、アインシュタインの考えを用いながらこれ以降で論述していきたいと思う。

 

まずアリストテレスが人間を個人と社会の両面からみているということは前提条件としてあるだろう。和辻も同様の考えを示し、私も前期の学期末レポートで、人間を個人と社会の二重構造性によってしか捉えることができずに、和辻批判を断念するに終わったのである。人間は個人と社会の二重構造性において把捉しなければならない。しかし、現代の人間は個人重視、もしくは社会重視とあまりにも偏りすぎている気がしてならない。それができるのも、個人と社会の両方があってこそだと言われてしまえばそれまでだが。だいぶ昔の事になるが、他の国の人々と交流する機会があり、その時、ある外国人に、「あなたは日本のためにどんな事をしていますか?」と聞かれ、ハッとして何も答えられなかった記憶がある。例えば韓国では徴兵制があり、男性は皆19歳になったら、徴兵検査というものを受け、訓練に耐えられると判断されれば、20代の前半に国のために徴兵となる。徴兵の命を受けなかった人も公益勤務要員として、国のために何らかの形で貢献する。徴兵制のある理由としては、日本の自衛隊のように高い給料を払う事ができないからという事もあり、また、徴兵制に対しては反対している若者も少なくない。しかし、この徴兵制は「自国」というものを意識する非常に良いチャンスだと思う。当たり前だが日本にはそのような制度はなく、私は「社会」という存在を意識した事がほとんどない。日本のために何かしたなどという経験はないのである。これは多くの日本人に言える事だ。国という大規模なものによらず、地域や学校などの集団でも同じ事だと思う。日本国自体が世界に向けしている社会貢献では、人的協力もあるが、多くは金銭的貢献である。私達の税金から賄われている部分もあるだろうが、実感として他国に寄付したという感覚はない。身近な人の存在は感じ、多少何かを与えてはいるだろうが、基本的には自分優先である。

 

アインシュタインは自身の生活を、他者の労働の上に成り立っていると考え、いつも社会に感謝している。人間というものを改めて意識してみると、私達も何か社会や他人に対して誠意を表していかないと、いつしか人間としての側面である社会的存在という面が失われてしまう、もしくは失われつつあるのかもしれないと感じている。反対に、最近問題となっている青色発光ダイオードの発明を争う裁判では、和解という形に落ち着いたが、原告側の男性は、日本国は個人が重んじられていない社会であるなどと会見をした。何千年に一度とも言われている発明をしたにも関わらず、結果的には、それに対する対価となる和解金額が低すぎるため、怒るのも無理はないだろう。日本は会社や社会を優先させ、アメリカなどの実力主義とは大違いだと、こちらは社会重視に対しての怒りの主張をしている。学生という身分で、社会に出て働いた事のない私だからこそ言える意見なのかもしれないが、私は個人重視の自分勝手の社会であると感じている。感じ方は人それぞれだが、人間の社会と個人という二側面がある以上、理想的には両側面を尊重し合える事が良いのかもしれないが、どちらもバランスよくというわけにはいかないようである。

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