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哲学

「活動」~知と行為の分離計画は実現可能か~

「始める」ことと「支配する」こととは、元々同一の意味であった。これは偶然的なものでも、誰かが意図した事でも無い。archeinという単語の派生がそうさせたとしか言い様が無く、今までもこれからも揺るぎようのない事実である。私が『人間の条件』を多少な…

ハイデガーと死の問題~ホッブズにおける「自然状態イコール戦争状態である」という定義の考察~

ハイデガーの唱えた可能性としての死の問題は、ホッブズ『リヴァイアサン』においても問題となっている事は明白であろう。ハイデガーの可能性としての死の問題を前提条件に置きつつ、今回はホッブズによって提案された自然状態イコール戦争状態であるという…

アリストテレス考察2

次にアリストテレスは、さまざまな技術や行為にはすべて目的があり、それらを統括する最高目的に、従属しているという考えを示しているが、私はどうも納得しきれない。アインシュタインは、人間は、孤独な存在であるのと同時に、社会的な存在であるという考…

アリストテレス考察

和辻哲郎の人間の学としての倫理学は、東洋ではなく西洋倫理学にあるといえる。和辻は、アリストテレスやハイデガー、コーヘンやカント、ヘーゲルなどの考えを発展させ、人間の学としての倫理学の確立を図ってきた。その中で古代ギリシャの哲学者アリストテ…

『転校生とブラック・ジャック 独在性をめぐるセミナー考察』2

序章の途中にビュリダンのロバの譬えが出てきたが、それについて考えてみた。どちらか一方を選ぶ根拠を持てずに理性的なロバは飢え死にしてしまった。しかし本当にロバが理性的であったなら、飢え死にする前にどちらかを選んで食べている、ないしは両方を食…

『転校生とブラック・ジャック 独在性をめぐるセミナー考察』1

デカルトにおける「われ思う、ゆえに、われあり」の懐疑については、だいぶ頭を悩ませた記憶がある。大雑把に言えば、「私」という存在そのものについてである。私には多くの性質、特徴があり、それは誰しも同じ事だ。髪が黒い、背が高い、目が大きい等々の…

プラトン国家2

また、これと同じ事が第四巻の十九章445Aでもいえると思う。 ソクラテスらは、この議論をする事をとてもばかげた事としているが…。他人に知られていようといまいと、正しいことを行うことは得であると思うし、懲らしめを受けずにすまされようとも、やはり不…

プラトン『国家』1

プラトンの『国家』。これは理想国家の在り方など国制について述べた国家論であると同時に、正義とは何かについても対話者と共に思索していく長編の対話編である。 そして「何であるか」を問うのに、善や幸福、魂と結びつけて対話を進行していく。これは『国…

「ストア派とエピクロス派における偶然性の問題~新現象学的破壊」

九鬼周造がハイデガーとの出会いによって偶然性の問題への着想をより深めたのは言うまでもない。偶然という概念の意味を追い求め、そこからさまざまな発見や破壊を行った九鬼だが、今回、同種結合といった形で必然性や偶然性を説いたストア派とエピクロス派…

ピタゴラス

(1)ピタゴラス派の人々について 私は以前から輪廻転生や前世、生まれ変わりや魂などに興味、関心を強く持っていて、大学の勉強とは別に学んでいる。たとえば何かの病気の原因となった心の傷や恐怖を探り、取り除くため、退行催眠によってその原因のある時…

デカルト『省察 情念論』

デカルトの誤謬論。まずはこれについて考察していきたいと思う。私は、神によって与えられた能力を正しく用い、判断をしている間は誤ることがない。なぜなら神は私を欺かないから。しかし、私が誤り得るのはなぜか。ここに問題がある。私が誤り得る理由とし…

「『大学・中庸』考察」2

次は第二章一節にいこう。自分をごまかさない事、例えば、悪い事は悪いとし、善い事は善いとして追求する。これが自分の意念を誠実にする事だとある。これは当たり前の事である。しかし現代問題となっているのは、何が悪く、何が正しいかの判断をしにくくな…

 「『大学・中庸』考察」1

『大学・中庸』は儒教思想を根本とし、書かれた書物である。「修己治人」、すなわち、己を修める道徳説と、人を治める政治説を中心思想とするのが儒教である。そしてこの思想を分かりやすく理解する事ができるのが、『大学』である。この道徳と政治の両方に…

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