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プラトン国家2

哲学

また、これと同じ事が第四巻の十九章445Aでもいえると思う。

ソクラテスらは、この議論をする事をとてもばかげた事としているが…。他人に知られていようといまいと、正しいことを行うことは得であると思うし、懲らしめを受けずにすまされようとも、やはり不正な行いをしたら、それは損になると思う。なぜなら、他の誰が気づこうとも、気づかなくとも自分という存在だけは気づいているのだから。正しいことをしたら気持ちがいいし、不正な行いをしたら、後味が悪いのは自分である。これは何だかデカルトのcogito ergo sum 我思うゆえに我ありの思想と似通っている気がした。どういう事かというと、不正な行いをしたという事が、誰にも気づかれていなくとも、その行いをしたという事を考える我は存在する。そしてこのような罪悪感や罪の意識は消える事はないであろう。

 

だからそれを思考する我は、疑っても残り、その存在は疑いえない唯一のものである。何をしても、どんな事をしても、知るのは自分が一番初めで、自分だけは絶対にその事を知っているし、それを忘れる事もない。他人に知られようといまいと、正しいことをするのは得で、不正なことをするのは損であるといえよう。

 

 

それから、第五巻の二十章の<美>と<醜>の話で、私の疑問に感じた点が発表した高野さんと同じであった。<美>と<醜>とは、互いの反対のものである以上、それらは二つのものであると、どうしていえるのか。二つのものである以上、それぞれは一つのものであると、なぜ言い切れるのか。私にはよく分からない。<美>と<醜>とは確かに直感的に捉えてしまうと、反対であるとも言い切れなくもない。

 

しかし認識の仕方は人それぞれで、<美>と<醜>とを全く逆に捉える人もいる。これを禁止するのは、個人個人の考え方を否定しているとしか思えない。主観的である事の否定。しかしそれを否定している人も主観性をはらんでいるかもしれないという矛盾。やはり私は簡単に<美>と<醜>を反対的に捉えてはいけないと思う。

 

全体を通じては、何も考えずに読んでいくと、何も残らない状態でそのまま読み終えてしまうので、しっかりと議論されている内容を見失わないようにして、自分もソクラテスの対話者として読み進める必要があると思った。プラトンが対話編を書いた理由も、私達に対話者として国家や正義などについて真剣に考えてもらおうとしたからではないか。プラトンの真の狙いはそこにあるのかもしれない。

 

それから、私にとっての正義とは何であるかについてだが、それよりもまず、私が発表した箇所の見解の検討を行いたいと思う。<不正>は<正義>よりも有利(得になること)であるか。発表をした当時の私には、まだ曖昧な答えしか出でいなかったので、はっきりした事は言えなかった。

 

しかしそれ以後、色々と考え、現時点での私の答えとしては、「いいえ」である。どんな場合においても所詮不正は不正。それを行う、行わないは各人の自由だが、私は最終的には<不正>が<正義>よりも有利になるとは思えない。理由は先ほどの二十三章352Cで述べた通りで、これが私の出した結論である。最後に『国家』の主題でもある正義について。私にとって正義とは何か。私の正義観はどのようなものであるか。普段あまり考えた事のなかった正義について、この授業で取り上げて頂いたおかげで、前よりもずっと身近な問題になったし、私なりの正義観を少しは確立できたと思うのだが、まだまだ問題は減る事を知らない。私の思う正義を相手にそのままぶつけていいものか。それが相手にとって、正義でない可能性は否定できない。

 

とすると、これはありがた迷惑や、お節介でしかなくなってしまう。しかし何もしないでいると、私の正義は正義として意味を成さない気がするのである。この葛藤の中、状況に応じ、私の正義を、相手を考慮しつつ、その妥協点を探して、その中で正義を形にするしかないのではないか。ではこれはほんとうの正義か。妥協した正義ではないのか。そもそも相手を考慮するにしても、私の身勝手な自己解釈なのではないだろうか。そして私の中にある正義はほんとうに正しいのか。この判断根拠はどこにあるのか。ほんとうの正義はどこにあるのだろうか。果てには、そもそも正義なんて存在しないのではとまで思えてしまう。そしてこのようにまだ、はっきりとした形にはなっていない正義のまま、上のような論述をしても空虚であったのではないだろうか。

 

しかし自己の自己に対してに限る正義についてははっきりとした事がいえる。自己が自己に対しては常に正直でいる。それこそが正義ではないかと思う。そこに他の存在がある場合ははっきりとした事はいえないが、自己自身に関しては、これこそが正義であると私は考える。そうあればおのずと他者にとっての正義ともなるのではないだろうか。これが私の現時点での正義である。

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